「何者」

「何者」

友達は言った。「就活の頃のなんとも言えない気持ちを思い出すから絶対見た方がいいよ」。就活の頃なんて嫌な思い出しかねーから絶対見たくないわ。そう思っていた僕も二階堂ふみが好きなので彼女見たさに仕方なしに見ることにした。

登場人物たちは就活真っ盛りで、就活中に抱える様々な闇を思う存分被っている感じのいわゆる量産型就活生達だ。確かにあるあると思えるネタもたくさんあったが、どちらかと言うと僕の感想は違った。「これじゃ受かるわけなくね?」登場人物たちはエントリーシートで1.5倍盛の自己PRを書いたり、事前に用意した、「借り物の言葉」で面接に臨むこともあった。語っているやりたいことは、就活用に無理やり言葉にしたものばかり。客観的にみてもこいつらは「落ちる」側というのがわかる。もし友達が言っていた「何とも言えない気持ち」という物が就活のために嘘をついている罪悪感なのだとしたら自分は感じるわけないなと思った。

私の感じていた何とも言えない気持ちはこれじゃない。自分のやりたい気持ち、やりたいことが相手に伝わらないもどかしさ、認めてもらえない悔しさだ。そういったものを噛み締めて、歯を食いしばって就活をしたんだ。

「何者」かになろうとしないと、何も始まらない、何者にもなれない。これは作品中に出てきた作者からのメッセージだ。これには納得がいった。自分は何者かになりたかった。何者になりたいのかはハッキリしていた。結局私は第一志望ではないけれど、いきたい業界に就くことができた。後は何者かになるしかない。そう覚悟を決めれたという意味では自分にとっても良い映画だったのかもしれない。

 

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