未知なる不可解さ ~ピエール・アレシンスキー展

未知なる不可解さ ~ピエール・アレシンスキー展

 

環境情報学部 3年 太田朝子

 

「梯子が消防士の身体となり、部分が全体を成す」…むむむ、どういうことだろう。絵をまじまじと眺めて、説明文を読んで、何とも不可解な気分に陥る。展示場に入って私たちがまず目撃するのは、アレシンスキー氏の初期の頃の、シンプルなメモ書きのようなスケッチだ。展示は、時代順になっており、恩歳90歳近いアレシンスキー氏の芸術の推移を眺められる。

前衛芸術というのを見慣れていないせいか、批判的に見てしまうのは私だけだろうか。地味な色の交差の絵は、おばあちゃんちの座布団カバーのようだと思ったし、黒いインクで描かれた『淑女』は、小学生の頃、習字の時間に隣の男の子が書いていた落書きみたいだ。ペンで丸くぐるぐると描かれた絵のタイトルはズバリ『ひと包みの海』。これでは真っ黒の紙を見せて「闇夜のカラスを描きました」と言っている一休さんのようではないか、と言いたくなった。

しかし不可解な作品の連続にひねくれていた私であったが、途中からアレシンスキー氏を好きになってしまうのである。その作品は、『オレンジの皮と貝』。冬にこたつの上でお見掛けするみかんの皮が、夏の爽やかなビーチによくある巻き貝と並んでいる。なんだろうこの不思議なコントラストは。そしてその隣にあるのが『オレンジの死後』。みかんの皮はその後、干からびてしまったのだろうか。ここで凄いのは、巻き貝の隣の皮はふにゃふにゃとした湿気を思わせるのに対して、’死後’のみかんの皮からは、いかにも「死んでいる」オーラがむんむん出ているのである。白い紙と黒いインクだけで、単なる皮に重々しい死を醸し出させるとは、恐るべし表現力だ。その感動の後の隣の作品は『ソファの上の皮』。あら、またみかんなのか。その次は『知られざるオレンジ』おやおや、そんなにみかんを掘り下げるのか。その隣、『オレンジとその分身』。オレンジは分身してしまった。そして最後のタイトル、『いいえ、私は…』…なんなんだその意味深長な終わりは。なんで最後にぼやかすんだ、みかんの皮が一体何だったのか教えてくれ!と言いたい。みかんの皮の連作…そんな芸術を今まで見たことがあるだろうか?私はいつの間にかこの芸術家の魅力に浸ってしまったのである。

その後もアレシンスキーの世界は次々と展開され、巨大でカラフルな絵へと行き着く。こんな模様の絨毯は世界の何処にも無いだろう、という大胆さだ。私はもう二度と、おばあちゃんちにあった座布団カバーみたい、とは言えないのであった。

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