過去は変えれる?

タイムマシンやタイムトラベルは、昔から何かと物語のテーマになってきたものだ。しかし、多くの作品には科学的知見から、論理的に矛盾が指摘されていたり、または作品の中でそれが指摘されていたりする。例えば、見過ごされがちなのが、記憶についてだ。映画「バック・トゥ・ザ・フーチャー」では、過去を変えた人間の記憶だけは変化しないのだ。ただし、過去を変えることに関与していない人間の記憶は新しい歴史に更新されている。過去を変えた張本人んだけが新しい歴史に戸惑う光景は、他のタイムトラベルものでもよく見られる光景だ。

過去を変えるという点では、「タイムマシン」という映画の中でこのような問答がある。なぜ何度タイムトラベルをしても、恋人を死から救えないのか、という問いに対し、「恋人を救うために作ったタイムマシンで、なぜ恋人を救うことができる」と答えるものだ。これを見た当時、非常に合点がいったのを覚えている。と同時に、実用的なタイムマシンがあったとしても、過去は変えられるのだろうか、という問いが浮かんできた。まず、先ほど述べたように、何かを変えることを意図してタイムトラベルをした場合、矛盾が生じるため変えることができない。変える必要がなければ、それらの一連の行為をする必要がないからだ。次に、何も意図せずタイムトラベルをし、過去を変える行為をした場合。こちらは、僕の頭の範疇では、それによって自分の存在が脅かされない限り、変えることができるはずである。そういう意味では、バック・ト〜の、主人公が両親の出会いを邪魔し自分の存在が危うくなる、というのは正しい(徐々に消えていくという点はさておき)。こうなると一番考えにくいのが、意図せず、自分が自分に影響を及ぼす場合だ。バック・ト〜でもし両親を結びつけることができなければ、主人公の存在は消えていた。しかし、それは両親の出会いを邪魔した存在も消してしまうわけだ。んー、わからない。どうなってしまうのだろうか。この映画で、ドクが、銀河系が崩壊する、と言っていたのが少しわかる気がする。

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