代理課題
魚と旬
伊東 宏
みなさんは何を通して季節の変化を感じるだろうか?
気温?景色?それとも蝉の鳴き声?焼き芋売りの車?
私は魚からだ。私は釣りが趣味で年中釣りをしている。そんな私が季節の変化を感じるのは魚からである。サヨリやメバルが増え始め、マイワシやアオリイカの新子イカが釣れだすと春を感じる。五月にもなればアジがバカみたいに釣れだし、夏になれば、成長したアオリイカがおいしくなり、イサキ、キス、太刀魚など多種多様な魚が旬になる。秋がくる頃には旬な魚もたくさん増え、秋刀魚なんて漢字に「秋」まで入っている魚が登場する。きっと昔の人も魚で季節を感じていたということがわかる代表的な魚だ。冬になればカサゴやカレイがおいしい季節が来る。
といった感じで私は魚から季節を日々感じているのだ。しかし、最近の人たちはそんなことおかまいなしだ。技術が進歩し、養殖の技術が整ったおかげで、年中「旬」な魚が食べられるようになった。いや、なってしまったのだ。もちろんおいしい魚が年中食べられるようになったのは喜ばしいことだ。しかし、そこには何か大切な物が失われてしまっている気がしてならない。実際、「旬」な物を食べるということは理にかなっている。経済に関して言えば、旬の魚を消費することで、漁獲ピーク時に供給過剰となり値崩れする可能性を和らげる。漁業が、不良期に蓄積される繰り延べ需要を利用することが出来る状況を作り出すことで、大漁期の追加供給は追加需要に吸収される。生態学的に言えば、旬の魚に執着すると、ターゲットにする魚種を多様化し、基となる海洋生態系のいたるところに漁業の影響をまんべんなくばらまくことが出来る。近年、提案されてきているそのような釣り合いの取れた収穫戦略により、持続可能な漁業を支持するという点でも、漁業のネガティブな生態系への影響を和らげるのに役立つのだ。
つまるところ、私の言いたいことは一つだ。魚の「旬」という意味が稀薄なものになってしまった今だからこそ、なぜ「旬」という物があったのか今一度考え、季節ごとにおいしくなる魚を楽しんでみてはいかがでしょうか。