異邦人のムルソー
異邦人のムルソー
環境情報学部 3年 太田朝子
私はこの小説を読む前に、この話は、「お母さんのお葬式の後に女とセックスして、裁判では ‘太陽のせいだ’ と言って死刑になる話…」という大まかな情報を得ていた。
ムルソーさんはとても無邪気な人だ。罪人には必ず弁護士を付けなければならないんだ、と言われると、それは便利なシステムですね…というようなことを言う。人生の深刻な一大事に、何をのんきなことを言ってるんだ、おい、と言いたくなる。
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』に描かれている、母親の葬式の日の夜を迎えた男は、女にセックスを挑まれて、「よりによってこんな夜にはなあ…」と躊躇うし、その女に「お母さんの死に化粧には何のブランドの化粧品を使ったの?KOSE?」というような質問をされて消沈してしまう。しかしこのムルソーさんであったなら、「うーん、資生堂かなあ」とでも言いそうなくらい、冷静で、正直で無垢な感じがある。
しかしこのムルソーさんは他の世間一般の人とは少し違って、何かずれている。そのズレのせいで、死刑という最大にして最悪の結論を与えられてしまうのではないか。そんなことを思いながら読んでいると、私はふと、先週末に三度に渡る待ち合わせに、不可解な理由で来られなかった私の友人を思い出した。
私たちは先週の金土日の午前、立川駅に集合する約束をしていた。だが、金曜日は、前日の木曜の早朝に彼女のお母さんのベルトが空港の探知機に反応して空港から出られず、深夜の帰宅となり金曜は起きられなかったという。土曜日は、前日の金曜の夜に、この寒い中お母さんが冷房を入れてその子は寒くて吐き、土曜の朝は来られなかったという。日曜日の朝には、クレジットカードが無くなったので探さなければいけない、と連絡が来た。私が、なんでそんなにトラブルが多いんだ、とつい言ってしまうと、’Don’t ask me, ask god.’だそうだ。私にはもう何も言えない。その子いわく「私の人生はトラブルに満ちている」とのことだ。
余談が過ぎてしまったが、私がムルソーとこの友人を重ねたのは、ちょっと人と変わっている、面白い人、は時に世間との間にずれが生じて、様々なトラブルを抱えてしまうのではないだろうか…と思ったからだ。’人と違う’人には生き辛い世の中である。
ただ、もし私の友人が、金曜土曜日曜とも来られなかった理由を、「太陽のせいだ」と言ったならば、私はその子の連絡先を消したい。