私の知らない異邦人
私は『異邦人』を知っていた。
カミュの代表作であることはもちろん、主人公がムルソーであることを、殺人の理由を問われて「太陽が眩しかったから。」と答えたこと、書き出しが「きょう、ママンが死んだ。」から始まることも知っていた。
全てクイズに出るから知っているのだ。
しかし、恥ずかしながら、この日まで読んだことはなかった。
断片的な情報から推測すると、おそらく、マザコンの青年ムルソーが、早くに夫をなくした母が連れてきた再婚相手の男性を嫉妬にかられて殺害し、母を太陽にたとえるという類の話だろう。
そう思いながらページをめくった。
「きょう、ママンが死んだ。」
続く文章で私の説はくつがえった。
「もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。」
ムルソーと母はべったり暮らしているわけではないのだ。母は養老院に暮らしている。ムルソーはマザコンではない。面倒くささを理由に殆ど養老院に足を運ばず、母親の交友関係も知らなければ、願望も知らない。棺桶に収まった死に顔すら見ずにタバコをくゆらせるような男だ。
母の死より、それ以上に大きな襟のついたシャツや黒光りする車にばかり目を奪われるし。葬儀の翌日には女と遊び、家に泊める。
それなのに悪人とも言い切れない。しかし善人とも言えない無の人間である。
愛するだとか憎むだとか希望だとか絶望だとかを全く持ち合わせていない。
母の死も恋愛も結婚も友情も罪も全て他人の判断に任せている。
最後は他者に巻込まれた闘争で、人を殺め、処刑を言い渡される。
殺しの理由を問われたムルソーはこう答える。
「太陽が眩しかったから。」
ムルソーにはそれ以外の理由は何一つなかったのだ。
牢獄生活で思索を巡らせる中で空っぽの死体のように生きてきた自分の存在と自らの幸福さに気づいたムルソーは最初で最後の望みをもつ。
「この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだ。」