デトロイト美術館展

芸術を食さない人たち

総合政策学部2年 石田 理紗子

 上野駅までは、銀座線を使って行こう。それには渋谷駅での乗り換えが必要だ。渋谷駅までは2,30分かかる。ふぅ、本を読もう。そう思って取り出したのは、外山滋比古氏の『知的生活習慣』であった。

ふむふむ、なるほど。人間には、嫌われがちな忘却というものが大切らしい。外山氏は、食べることに例えてそのことを解説している。人が食べ物を食べる、そして体は食べたものを消化する。入ってきた食べ物をそのままにしていたら、お腹はいっぱいのままになり、新しい食べ物を受け付けなくなる。消化をし、体にとって必要なもののみを取り入れ、その他は排泄してしまう。この排泄に当たるのが忘却だ。人は、知識を取り入れる。知識はより多く記憶される方が良いと考えられがちだが、忘却を乗り越えて残るものにこそ価値がある。思考には、すべての知識などは不必要なのだ。忘却は、記憶と並んで重要である。

本を読んでいたら、いつの間にか上野の森美術館に着いていた。今日は、写真を撮ることが許されている。周りの人の手には、一眼レフカメラか、スマートフォンが握られている。どの絵の前でも人は写真を撮っている。絵の前にいるのは、せいぜい15秒というところだろうか。

ここで、先ほどの忘却について思い出した。果たして、こんな短い時間で何を胸と頭に刻むのだろうか。絵を記憶することを、自分の脳ではなく、カメラに任せている人が多かった。そもそも、ちゃんと食していないのに、消化することは不可能だ。「あの絵が印象的だった。素敵だった。」という一言は、忘却を超えた先にあるものだということに気付いた。

携帯電話のカメラは、私たちの思わぬところに害を与えていたのではないか。写真を撮ることが、簡単になりすぎて、記憶することも忘却することも私たちから奪ってしまった。きっと、そう。

芸術は長く人生は短し、というが。こんなに芸術が雑に扱われ、長寿命化がすすんでは、どうなることやら。

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