ワンダーランドに行ってきた

私たちが今のように豚・牛・鳥などの家畜を食べるようになったのは高度経済成長期以降だという。その前は、家畜を食べてはならず、狩猟によって得たものしか、口にしてはならなかったため、豊かな海に囲まれ、幾つもの山々から流れ込む清らかな川で釣れる魚を食べてきた。日本人にとって魚は私たちの命を、ずっと支えてきた「骨」だった。

しかし『築地ワンダーランド』は「骨」を支えるだけではなかった。問屋、仲卸、寿司職人、市場の学者など、数多くの人たちがそう証言する。もちろん、はじめはそうだった。魚の流通を促し、どんなところでも魚が食べられるような工夫によって日本橋に、築地の原型となる市場ができた。それが、80年もの月日を経て、伝統が生まれた。魚を売る商人ではもうない、職人という言葉が適切だ。私が特に印象的だったのは、仲卸の人々だ。魚を見て、選んで、さばく。様々な知識や経験を生かし、ただ私たちに美味しいを届けるために、芸を余すことなく披露してくれているのだ。その熱い魂を私は見て欲しい。劇場からつたわってくるあの空気を体感して欲しい。

ノンフィクションならではというべきか。『スーパーサイズミー』のような警鐘を鳴らすコンセプトも内包している。この映画は、築地の最後を迎える今を映し出す思い出っぽい要素は多かったが。豊洲の一件により、局面も変わってきた。『スーパーサイズミー』を見た人にしかわからないが、密かに思う。『スーパーサイズミー』現象が起きるのではないかと。

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