TSUKIJI WONDERLAND

築地とは。

総合政策学部2年 石田 理紗子

築地とは、いったい何だったのか。

築地とは、市場だったのだろうか。私は何をしに、築地に行くのだろう。答えはきっと、「美味しいお魚を食べに。」。大抵の人がこれを求めに築地に行くのではないだろうか。美味しい魚を買いに、美味しい魚をさばいているお寿司屋さんで寿司を食べるために、美味しい魚を自分の店で出すために、人は築地に集まる。これは、今も昔もずっと変わっていないだろう。

築地とは、ブランドだったのだろうか。築地は、銀座駅から歩いて15分のところにある。まさに一等地だ。銀座の近くというだけで、気持ちのいい緊張感を持つことができる。「この魚、築地のだから。」、この言葉だけで人は高揚感を得る。築地、またはTSUKIJIということばとその意味は、外国にまで広まり、築地を愛する人を増やした。

築地とは、誇りだったのだろうか。朝早く漁に出て魚を釣る漁師、新鮮且つ美味しい魚を届ける仲卸、魚について知り尽くし、人に幸せを届ける卸売が、築地にはいる。ここに、誇りを持たず仕事をする者は、いない。

築地とは、歴史だったのか。築地は80年ほど存在している。そもそも、この漁師集団の始まりは江戸時代からであった。江戸幕府、関東大震災、戦争、高度経済成長期、すべてを乗り越えて、なお存在している。築地には、確かに歴史があるのだ。

築地とは、WONDWER LANDだったのか。築地を知らない、行ったことがなければ、「築地 is WONDER LAND」だと想像してしまう。映画監督もそれを見込んでつけた名前だろう。築地で、どんな人が、誰のために、何のために、どんなことをしているのか。想像を超えるものが、ここにはある。

WONDER LANDの解明は、この映画を見ればできるだろう。それに留まらせないところがこの映画の魅力だ。「築地とは、時代であった」と、この映画は捉えている。この時代とは何か、この時代をどう捉えるべきか、声なき問いがこの映画には溢れていた。

いやぁ、それにしてもよく喋るな、築地の男は。うーん、何故だろう。格好よかったな。

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