いのちの重み
鯖の味噌煮が私は好きだ。大好物である。お寿司だって好きだ。それなのに私は、大好物がどこからどこへきて、そして私の一部になることまで深く考えずにいた。日本食文化を支えてきた築地市場に脚を踏み入れることもなければ、知る機会さえなかった。
「築地ワンダーランド」は、オリンピックのために豊洲へ移転する築地市場の魅力を、芸術として後世に残すために凝縮しているように感じた。高い建物に囲まれて、弧を描いて存在する築地市場。ここは、日本食の魚文化を守ってきた場所であり、それに熱い情熱をかけいのちを育んできた職人たちがいる場所である。
この世の全てのものに命は宿るとはよく言う。魚だって貝だって蟹だって、すべては生きていたはずだ。冷凍されて切り売りされていても、彼らだって確かに命を持っていた。人間と同じで体臭なんかもあるように感じ、鮪の競りを行う場と、鮭やしらすの加工場では確かに臭いは違うように感じた。そんな築地市場は私に違和感を抱かせた。彼らはいのちの量り売りをしたり、競ってお金で買っていたりするのではないか。生々しい骨や肉片が雑に落ちて、頭と体が引き離され放置され、それだけでなくターレーで踏み潰されていることもあり、彼らにとって命とはそのようなものだろうかとも感じた。
ひんやりした空気感や、ホースから流れるように使用される海水は、いのちの呼吸を失わないための心意気である。人は海から生まれた。神秘的なつながりをもつ海と、そこで育まれた生き物と生きることは必要不可欠である。その責任を背負い、築地で働く人の「食」へ向き合う姿は輝いている。新鮮な命を、今生きている人につなぐ。命といのちを結びつける築地は何だかきらきらとしていた。
自然といつもの「いただきます」が重く意味を持った。脂がのったおいしいお寿司を頬張り、”生きる”とはと頭の片隅を過ぎった。築地市場は、食とは生きるとは何かを再考させてくれた。舌に感じる重みは、確かにこれから私のいのちとなるのだ。今日も、明日も生きなければ。自然とこぼれた。
ごちそうさまでした。