歯医者は廃者
小学生の頃、購読していた、学研の科学と学習のお正月号には、未来の科学技術の一つとしてこのようなものがあった。「未来の世界では虫歯はなくなる!」。「すげー!もう虫歯の痛さに苦しまなくていいんだ!」と、なるところだが僕の感想は違った。「マジかよ、まずいじゃん。」何をかくそう我が家は三代続く歯医者だ。「そんなことになったら、僕の学費は払えるのだろうか。」「そもそも、父は失業し、一家は路頭に迷うのではないか。」未来への希望どころか、そんなことばかりが頭をよぎった。無論、科学雑誌とはいえ、これはドラえもんレベルの話だが、私はあることに気づくことになった。「そうか、うちは人の不幸で儲けてるんだ。本当は、歯医者なんていない方がいいのか。」
人の不幸は、誰かの利益と隣り合わせにあるのかもしれない。その最たるものが、医者だ。人の命を救っていると言えば、聞こえはいいし、もちろんそれも間違いではない。しかし、医者が儲けることができるのは、それだけ価値のことをしていると同時に、それだけ不幸な人が溢れているということだ。本当なら後者の理由はない方がいいに決まっている。これは極端な例だが、身近なところにも不幸が利益になることは山ほどある。よく、「好きなこが幸せならいい」という男がいる。私は逆だ。好きなこにはピンチでいてほしい。最初の言葉は、厳密には「自分の手によって、好きな子が幸せならいい」である。それなら、少しくらいピンチな方がチャンスは増えるはずである。気になる子が忘れ物をした瞬間に、心の中でガッツポーズをしたことがある男は、私だけではないはずである。こう考えてみると、歯医者を継がなかった私だが、人の不幸を食い物にする点は受け継いでいるらしい。