ロストヒューマン展

・「失われし人々」

 

サン=テグジュペリは言った。「人類が最後にかかる病気は希望という病気だ」と。

杉本博司は一つの物語を創出した。希望も光もなく、悔いて、愚かな人類が導いた滑稽な破滅と無。それを受け入れるしかない、今日かもしれないいつか、を描き出す。杉本を通して現れるその失われし人々の「書き残し」や遺物は、私たちに何かを訴えかける。

物語に入り込むほど、この目の前のガラクタはなんなのだろうと思う。人々の悲痛な「書き残し」も、もはやガラクタだという。地球が生きた時と比べれば、人類の時間などちっぽけなものでしかないのだから、それなのに地球をゴミ箱のように使って何様か、と言われてみれば、無論何も言えない。展示品も番号はついているが、順番通りに並ぶことはおろか、抜けている番号さえある。しかし、それこそが私たちに、過去も未来も関係なく、いつか全ては失われることを訴えかけているような気がした。では、諦めろということか。なぜ全て失われるとわかっているのに、自分たちの痕跡を残すのだろうか。それこそが失われし人々の、否定しても否定できない希望という病だ。

人類は愚かだ。いつだって愚かなのだ。人を殺し、地を汚す。そうして結果的に自分たちを破滅に追い込んでいく。それでもなぜ愛おしいと思えるのだろう。過去は関係ないから今を生きよう。これは確かに正しいが、私たちは過去にも未来にも全てに関係して生きているのも確かだ。どのゲルマン人が、自分はアドルフヒトラーという魔物を幾重もの先の未来に生むことになると想像できただろう。

それ故に杉本を通して、失われし人々は訴えかける。この過去を繰り返したいか?この未来を待っているのか?

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