ロストヒューマン展
自動ドアがスライドし、私は廃墟に入り込んだ。
30分に一度可動するロブスターの作品があった。海に行くまでのドライブで流しそうな軽快な音楽が聞こえると、こぞって人が群がった。メロディーと微妙に噛み合わないリズムでロブスターは上下に体を叩きつけた。柔道の前受け身の様な安定感はなく、何だか痛々しく、可哀想だった。2曲流れたが、1曲目が終わった時点で飽きた人々は苦笑いしながらその場を去った。
壁一面に大きく「哺乳類通年発情表」なるポスターが貼られていた。一年を通してあらゆる動物がどの時期に多感になるのかを表した表であった。だが、脇目を振る余地もなく、表の中央に人は常時発情中であるという大きな文字が目に飛び込んできた。その出オチ感がなんともツボだった。
美術館のスタッフが電流を流すと言い、来場者を呼び集めた。赤紫の電流を放電させ、ライトセーバーが衝突した時のようなおぞましい音が響いた。2回流し終えると、場は静まった。スタッフが「以上です」と伝えると、人々はわざと鼻息を漏らし、場を和ませた。
人の文明というのはそこに人が居なければ中々シュールなものであると思わされた。何も人類が衰退することに限る話ではなく、とあるファッションが流行ってもそれを着る人がいなくなれば今では笑いの対象になる。バブル時代を皮肉った女芸人の平野ノラさんなどはまさしくその一例だと思う。
改めて考えてみると過去を馬鹿にしている割には、社会を取り巻く文明の何が残り、何が廃るのか実際のところ自分自身でも把握出来ていないことを思い出した。自分が長年親しんだ定期券やケータイがほんの数年でSUICAやスマホに世代交代したときは、自分も波に流されて変えておきながら驚いた。
きっと今を良いものにしようとするからこそ面白い文明が生まれるのだと思う。それがたとえ未来から見ると変に思えても、少し笑えるぐらいに尖った文明を生み出すのが人間らしいのかもしれない。