代理課題:金持ちの租税回避は悪か

パナマ文書が公開され、大きな話題となったタックスヘイブン問題。国民の多くが怒りをあらわにし、「血祭りにあげろ」「高所得者から適切に税金をとれ」「高所得者からしっかり税金をとれば増税なんて必要なかった」などといった声を耳にした。しかし、果たして租税回避は悪なのだろうか。
 まず、確認しておきたいのは、パナマ文書で公開されたタックスヘイブンを利用した「税金逃れ」が違法ではないという点だ。法を犯した脱税であればそれは、当然悪である。しかし、タックスヘイブンの利用は、租税回避であって違法ではない。資産運用の一つの形であり、知っている人が得するという制度の一つといってもいい。この時点で法律的に悪ではないと言えるだろう。
 次に問われてくるのは、道徳的な問題だ。これについては様々な意見があるだろうが、簡潔にまとめれば「合法的だからといって適切な税金を納めないのは倫理的にどうなのか。」ということに集約されると思う。それでは、適切な税金というのはどれくらいなのか。日本は超累進課税の国で所得にかかる最高税率(住民税を含む)は、55%でだ。極端な例ではあるが、稼いだ額の半分以上を税金として国庫に納めることが、高所得者の適切な税金ということになる。租税回避を批判する人の多くは、この事実をどう受け止めるだろうか。自らが、高所得者の立場になって、自分の稼ぎの半分以上を税金として納めることを快く思える人がどれほどいるか。ましてや、それを回避する手段があると知って利用しないという選択をする人がどれほどいるか。倫理的な問題としても、これを悪であると糾弾することはできないのではないだろうか。
 ここまで、租税回避が悪ではないと肯定的な意見を述べてきたが、それでもやはり租税回避は「国」としては大きな問題である。租税回避を究極的に肯定してしまえば、「国」や「社会保障」などいらないといっているのと同じことになる。バカな金持ちなら、それすらもいらないと切り捨てるかもしれないが、社会保障のなくなった社会は公共サービスが何もなく、失うもののない犯罪者で溢れる。社会として成立しないような状態は、金持ちでも避けたいはずだ。
 真に悪とされるべきは「国民の意識」ではないだろうか。累進課税での金持ちの高額納税は「社会貢献」であるという意識を国民はもたなければならない。今回の事件での世間の反応を見ても、「金持ちが税金を納めて当然」という根本的な意識に加え、明らかに金持ちであることに対して敵意を持った声が多く見られた。租税回避をしなければ、収入の半分以上を持って行かれる可能性のある制度に加え、金持ちは税金を納めて当然という金持ちに社会貢献として税金を収めようという気持ちにさせるはずがない。制度として抜け穴があるなら、利用するのは当然である。少なくとも、同額の税金を納めることのできない貧乏人に彼らを否定する権利はない。金持ちにしっかりと税金を納めてもらいたいなら、「金持ちが社会貢献をしたくなる社会」を形成する必要があるだろう。
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