代理課題
『歴史を掴む技法』 山本博文 著
わたしがここ最近でとても勉強になった本を一冊紹介しようと思う。小学生から伝記や歴史の本を読むことが好きで、受験などで歴史の勉強を強制されても全く苦に思わずに、むしろ楽しくてしょうがないからもっと皆が知らないエピソードを教えて!と言うほどの自称歴史好きが、この本を読んで「歴史学」という見方を認識し、しっかりと学べた。ひたすら年表や史実を羅列されたものを見て興奮し、順々に追いかけている見方でほとんど捉えてきたが、さらに興味深い異なる視点をいくつか示されているので、さらに探究心がくすぐられる。そもそも歴史として考えている事実は果たして間違っていないのか?偏った見方なのでは?その事実の裏に本当の事実が隠されているのでは?単純な疑問から、どんどんその答えを求めるようにもっと深く奥まで覗き込みたくなった。
時代区分や日頃疑いも無く使っている歴史上の「用語」は、後世の解釈や考え方が反映されている。例えば「幕府」という言葉は、中国が起源で出征中の将軍が帳幕をはって宿営している所という意味であり、江戸時代末期までその言葉は使われていない、と。○○幕府との示し方は日本固有のものだと思い込んでいたし(世界史で中国史を学んだ際に「幕府」という言葉は見当たらなかったと思う)、大河ドラマや歴史小説の中でも普通に台詞やワードとして出ているイメージだったので、後づけの表し方だったのには驚いた。
筆者の言葉でとても印象に残っているのが、
「歴史においては時として理性的な判断よりも、各時代を支配する狂気のような激情が勝利します。いかにその判断が論理的に正しかろうと、時代の波に逆行したものは、その波にのまれてしまう。」
今この現代にも同じように言える。論理的な言葉があるにもかかわらず聞こえないフリをして感情的な部分を震わせ訴えて、勢いで事を起こしたり行動に移したことが、今のニュースで取り上げられたり世界的問題になるほど身の回りに頻発している。わたしたち皆、「人間」なので流されたり間違うことは勿論。それが一概に悪いことなのか良いことなのか、その人間が判断するのはとても困難である。歴史を学ぶことはその「判断」をするために必要な学問であるとわたしは思う。