字面で恋をして
夏が来た。いつの季節もそうだが、定番の曲というのは必ずある。大滝詠一の「A LONG VACATION」もそのなかの1つかもしれない。幼い頃から、父の運転する車のなかで、いつまでもリピートされていたこのアルバムは、好き嫌いという範疇をもはやこえて、「普通」の域に達してしまっている(しかし、そのCDには、「さらばシベリア鉄道」がカットされており、父とは反対に、通常盤のラストにこの曲が流れると私は違和感を感じてしまう)。
ところで、このアルバムの中で私のお気に入りは、「恋するカレン」という曲だ。歌詞の持つ雰囲気が好きなのだ。しかし、ある時ふと気づく。「これって、カレンを好きな自分を歌っている曲なのに、なんで『恋するカレン』なのだろう。」そう考えると、「恋したカレン」などが適切なはずである。というわけで歌詞をみてみる。答えは単純で、カレンを好きな自分がみているカレンは、別の“彼”に夢中だ、という内容だった。歌詞にやられた、なんて実に当てにならないものだ。20年近く聞いてきて、こんなに頭に入っていないとは思わなかった。しかし、普通はどれくらい歌詞が入っているものなのだろうか。日本人は、西洋人がリズムを重視するのと比べて、歌詞を重んじるという意見がある。確かにそうなのかもしれないが、それは歌詞の中に散りばめられている言葉の持つニュアンスや、歌い手の声に依存するところが大きいのかもしれない。また、男性はリズムを、女性は歌詞を重視するとの意見も転がっている。そう言われれば、わかっているのか、わかっていないのかわからないようなJ—POPの歌詞を、ノートの裏や、後ろの黒板に、女子は必死になって書いていたものだ。というわけで、皆さんも一度、“なんとなく”好きな曲の歌詞を読んでみてはいかがでしょうか。