第24回参議院選挙
今回の参議院選挙は、昨年に選挙権年齢が18歳からに引き下げられてからの初めての選挙ということだ。さて、私はこの選挙権年齢について常に疑問を感じてきた。選挙というのは国民に与えられる、政治に関与する数少ない機会の一つであるが、政治に関与するということは果たしてどういうことであろうか。お金の流れを組み込みながら国民の生活をあらゆる面において保障するシステムを作る政府。そしてその政府に仕える人々。彼らを選ぶ権利を持つ国民。しかし国民は本当に選挙への関与ができているのだろうか。
18歳といえば、大学生になる頃。人によっては仕事を始めたり、学問という分野からは離れたりする人もいるだろう。しかしどのような場合も、未だ経済的な自立を達成している人は少ない年齢ではないだろうか。人というのは、実際にある立場になってみないと視野が広がらないことが多い。親からの経済的な支援を受けている状況では、福利厚生や社会保障、物価に対する価値観も鈍いままだ。人は、目の前にある困難を解決しようとしている時にこそ成長ができる。名の売れた芸能人が1週間無人島生活をする企画をテレビで目にしたことはないだろうか。手ぶらの状態で、食料も家もない状態で、周りの人間から助けをもらうこともできない状態で、ある島に放り出される。そのような状況下では、人は知恵を絞って行動を起こしていくしかない。一見何のシステムも存在していないように見える、その無秩序とも言える世界で、実は存在しているかも知れない物事の道理を探求し、あるものとある物を合わせて新しいものを作り出す。そしてゆるやかに時間をかけながら、生活を営むためのシステムを自らの手で作り出していく。
要するに、未成年に対しても同じことが言えるのだ。自立をしていない状態においては、そのシステムに自らの意思で触れる必要性がない。そのシステムについては扶養者が理解をしているからだ。扶養者が持つ当事者意識が、おそらく被扶養者には無い。当事者でなければ、主観的な目線を持たないために物事の根本的な理解が進まない。政治的な関心を呼び起こす教育さえも行わない日本において、未成年者に与えられる選挙権には、いったいどのような意味があるのだというのだろうか。