『意識と本質』
『意識と本質』
まず僕は本を読むのがすこぶる遅い。故に福田研に所属していながら、正直言って本を読むことが苦手である。それがあろうことか「意識と本質」を読むことになるとは。
「意識と本質」。そもそもこの本はどんなジャンルに分類されるのだろう。わからない。だが小説でないことは確かだ。つまりこの瞬間、僕が七日間で読了する確立が限りなく低くなったことになる。
新品で購入したが、まずその価格に驚いた。「1020円+税」。結構な値段だ。この値段設定は自信の表れなのだろうか。ならば間違いなく傑作に違いない。手に取ってみると中々重量感がある。紙の捲り具合も良好だ。「うむ、悪くないぞ、この感じは。」そんなことを思いながら一行目に視線を落とす。
10分後。ある異変に気づく。全然ページが進んでいない。本を読むのが遅いことに定評がある僕でも、さすがに10分読書をすれば8ページくらいは読める計算だ。(これが僕の限界速度だ。)それなのに、3ページ? いや、2ページと半分くらいしか進んでいないのである。
それもそのはず、1ページを何度も読み返して必至に理解しようとしている自分がいた。はっきり言おう、意味がわからないのだ。以前これと同じ体験をしたことがある。研究室から拝借したニーチェ全集の「曙光」を読もうと思った時のそれだ。結局「曙光」もお手上げだった。そのときも僕は自分の頭の悪さを痛感し、今まで生きてきた22年間に疑念を抱いたものだった。
哲学書というものは、こうも人を寄せ付けまいとするものなのか。いや、やはり単純に僕の”おつむ”に問題があるのだろうか。いやいやそもそも、著者自身、自分が何を書いているのかわかっていない状態で執筆しているという可能性も浮上してきた。そうなってくると話は別だ。わからなくても仕方ないだろう。
1020円の価値をその内容に見出せる日がくるのだろうか。僕はとりあえず、素晴らしくちょうど良い本自体の物質的な重量感と”ぺらぺら捲る感”を満喫しながら待つことにしてみた。
福田周平