意識と本質

環境情報学部4年
對馬好秀

「意識と本質」をAmazonで頼んだら翌日すぐに届いたので早速読もうと思ったのだが、福田先生が「慶應にいるなら井筒俊彦のものには触れておかないと」とおっしゃっていたのを思い出した。申し訳ないことに自分は正直井筒俊彦さんに関して名前くらいしか知らなかったので、まずは井筒俊彦さんについて調べてみた。
慶應義塾大学名誉教授であり、言語学者、イスラーム学者、神秘主義哲学者など様々な顔をもってらっしゃる上に、アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語など自分が全く聞いたことも無い言語を含め30以上の言語を流暢に操り、欧米においても高く評価される「語学の天才」だそうだ。彼に関して調べ始めて5分で井筒俊彦という人間の偉大さが自分の想像をはるかに超えていた。これからこの人が書いた本を読んでしっかり自分の理解が及ぶのか不安になるほどだった。

不安は見事に的中した。難しい。なんだこれ。
すぐに自分の中で「意識」と「本質」のゲシュタルト崩壊が始まった。
読んでは考え、さらに読んでは考えての連続で全くページが進まない。まだ全て読みきれていない上におそらくこれは何度か読まないと理解しきれないだろう。

しかし、わかったこともある。
物体を認識する際「本質」を何らかの形で把握していなければいけないということ、世界は「本質」によって分節化されている状態で我々の目の前にあるはずということ、またそれと相反する「無分節世界」というものもあるということ。
まだまだこの中でも理解が追いついてないことも多々あるが、読み進めば読み進めていくほどこの本のコラムを書かせていただくには自分はあまりにも勉強不足だった。難しいし、正直読むだけでかなり疲れる。が、何故か理解したい意欲も同時にふつふつと湧いてくる。
自分はこの本を読み終わる時、知ったかぶり程度にはなれるかもしれない。が、「意識と本質」という本に対して「知ったかぶり」は愚行もいいとこだ。
いつになるかわからないが、この本をしっかりと理解出来る人間に少しでも近づこうと思う。

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