「帰ってきたヒトラー」

んーつまらなかった。映画がおわってまずそう思った。それと同時にじわじわと、何とも言えぬ後味の悪さが襲ってきた。「なぜみんなあんなに笑っていたんだろう」と。

 

本編は2012年にドイツで発売され、国内で200万部を売上げ、その後世界41カ国で翻訳された大ベストセラーの映画化である。大まかなストーリーはこうだ。あのヒトラーが現代にタイムスリップしモノマネ芸人として大ブレイク。現代のネット社会に巧みに順応し、再び民衆を扇動していく。

 

さて、わたしが感じた「つまらなさ」と「後味の悪さ」について考えてみたい。

まず「つまらなさ」の大部分を占めるのは「雑さ」である。ドキュメンタリーの撮影のためにサヴァツキと各地を回るシーンでは至るところで映像や音の「不快さ」が目立つ。それは生理的に受け付けないものであると同時に、編集の技術的にもう少しどうにかならないのかという2つの苛立ちからくる。2人でドキュメンタリーを撮っているはずなのに、撮影しているのは第3者であるかのような構図や、ヒトラーが犬をバンッと撃ち殺してしまうあたりはどうも好きになれなかった。

次に「後味の悪さ」についてだが、これは劇場の雰囲気と私とのズレが大きい。私はこの映画を「つまらない」と感じた。クスッともできなかった。コメディだということを念頭に置いても、それでも、あのヒトラー本人や彼が社会に世界に与えた影響を、いわゆる「パロる」ということに対して、私の道徳心が激しく疼いたのであろう。それに対して他の客の態度は随分と愉快そうであった。それも20歳そこそこの若造よりもずっと戦争の恐ろしさを知っているであろうお年寄りたちが、だ。ところどころで笑いが起こり、そこには深刻さの微塵もないように私は感じた。

この「つまらなさ」と「後味の悪さ」は決して映画や他の観客を批判するだけのものではない。自分の感受性の狭さにも少しがっかりしての感想でもあるのだ。バリバリの優等生にもなれなければ、こうした面白さも理解できない。「中途半端な自分」「見たくなかった自分」を発見してしまった。

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