雪と共に

所々点滅していて、頼りない街灯のあかりに照らされた街に、今夜も雪が降っていた。僕は別段傘を差したりもせず、時折顔にかかった雪を払い、サクサクと音を立てながら歩いていく。足跡一つない白の絨毯を見つめながら、一つ白息を吐いた。この街に冬がくると半分くらいの日は雪が降るが、今日がその日で運がよかった。この街には雪がよく似合う。
 降りしきる雪のなかを歩いていくと、雪化粧をした我が母校が見えてくる。訪れるのは何年ぶりになるのだろうか。思えばここに通っていた頃は、忙しいながらも充実した日々をすごしていたと感じる。日々やっていたことが、将来のためになると信じていた。勉強して高校を卒業した後は公務員になり、お金を稼げばシングルマザーである母を楽にさせてあげられる、そう思っていた。だが肝心の母は僕が満足に孝行する前に逝ってしまった。パート中に過労がたたって心筋梗塞で倒れたらしい。無事公務員となり働いていた僕が知らせを受けて病院に駆け付けた頃にはもう冷たくなっていた。
 バカみたいなことをしているな、と校門を乗り越え、僕はぼんやりと思った。現役の高校生だったころすら夜の学校に忍び込んだことなどないというのに、僕は堂々と誰もいない校舎を闊歩している。今までこんな片田舎の高校に侵入者が入ることなどなく、そのためか警備もずさんで、見回りの人などもいる気配がない。どうせ忍び込んだなら満喫してやろうと思い、三年生のときの僕の教室を覗きに行ってみる。さわやか三組、とはいかないでもそれなりに仲もよく賑やかだった三年三組の教室は、当たり前だががらんとしていた。鍵がかかっていると思ったが日直がかけ忘れたのか、後ろの扉だけ開いている。これ幸いと中に入った。
 高校を卒業してしばらく経った身からすると、この狭い教室に三十人近くが机を並べて勉強していて、自分もその中の一人だったことに現実味を感じない。だが不思議と懐かしさはあって、教室独特の雰囲気は人がいなくても感じるものなのだな、と思った。僕が座っていた、窓側の前から三番目の席に座ってみると、感慨深いものがある。黒板には今日鍵を閉め忘れたであろう日直の名前が書いてあり、それは僕が現役の頃と変わらなかった。現在の机の主は起き勉派なのか、机の中には教科書やワークが詰まっていた。ふと外を見ると、雪がはらはらと舞っている。変わらない窓の外の景色に、安心と落胆を覚えた。
 教室を出て、屋上へと向かい、屋上へ続く扉の鍵を、針金を使って開けようと試みる。少し手間取ったが、何度かカチャカチャやっているうちに鍵が開いた。こんなことをするのは高校以来だが、意外と覚えているものだ。僕が懐かしさを感じながらさび付いた扉を開くと、屋上を駆け回っていたであろう北風の出迎えをうける。強い冷気に思わず体を震わせて、僕は足を踏み入れた。僕が通っていたころと同じく、今も屋上は開放されておらず、手入れもされてないのだろう。足首のあたりまで積もっていた雪に苦笑しながら、辺りを見渡す。雪が降る時期に屋上に来たことはなかったので昔見慣れたものとは異なる景色が広がっていたが、この場所自体は何も変わっていなかった。錆びて変色していて、一か所穴が開いている転落防止用のフェンスも、給水塔に描かれた落書きも、最後に使われていたのがいつかわからない、土だけ残っている花壇も、すべてがあのころのままだった。まるでこの空間だけ時の流れから切り離されているような錯覚すら感じる。それが錯覚ではなく、現実だったらいいのにと強く思った。あのころの時間に閉じ込められて、永遠に出られなくなってしまえばいい。あのころの記憶が鮮やかに脳裏をよぎり、今を生きている感覚が希薄になる。
 ガシャガシャ音をたてて、僕はフェンスを登り始める。かじかんだ手に金網が食い込む痛みも忘れて、懸命に。フェンスはたいした高さではないので、すぐに登りきることができた。時折目にはいってくる雪を払いながら、僕は空を見上げる。とっくに太陽が沈み、黒々と広がる夜空に輝く月を見つけて初めて、今日が満月であると気づいた。力強く、それでいて温かさを感じる満月から、そして視界に広がる、暗い夜空から、真っ白の雪がひらひらと舞い落ちていく。雪のその白さは、ぼんやりとあのころに囚われていた僕を今へと引き戻すほど鮮やかに見えた。風の音以外何も聞こえない静かななか、僕はどこか救いのようなものを感じるこの景色に見惚れていた。僕の心に広がっていたもやが、少しはれたような気がした。もう手遅れだが、最後に少し気分がよくなった。
 桜は秒速五センチメートルで舞い落ちるらしいが、雪はどのくらいで地面に辿り着くのか。舞い落ちる雪を手でつかむことはできるのか。ふと思い立ち、宙を舞う雪に手を伸ばす。身体が重力に捕まるも逆らわず、雪を手に掴んだ。手の中で溶けていく感触を味わいながら、僕は雪と共に地上へと向かった。

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