Rockyとは
ロッキーという映画は不思議な映画だ。これほど人に夢と希望を与えているのに、ある時、疑問を持つ瞬間がやってくる。
最初、小学校高学年くらいにこの映画を見ると、ロッキーはただの「努力をしてアメリカンドリームをつかむ人」に見える。そこにケチはつかず、素直な感動がある。しかし、これが中高生、特に、部活動などに精力的に励んでいる人になると事情が変わってくる。たかが、十代の彼らには、口には出さずとも、自分たちはわき目も振らず努力しているという自負がある。そのような年代、人々にはロッキーは「運良くチャンスをもらって、調子良く成功を掴んだ人間」にやや見えてしまう。実際、高校時代に、地元の強豪校の生徒、選手とメンタルトレーニングの一環として、「ロッキー」を観る機会があったが、感想は「思ってたよりイマイチだった」というのが多かった。ロッキーのだらしなさがきになるのだ。しかし、彼らがその環境を離れた時、またロッキーに対する評価は変化する。例えば、厳しい部活で活動していた人ほど、その後の生活とのギャップが大きくなることが多い。「自分たちは頑張っている」と思っていたのが、「あの時は特別だったんだ」、「本当は一人じゃ何もできないのかもしれない」というように、無力な自分とのギャップに苦しむのだ。そうして、腐っていってしまう人もいる。物語冒頭のロッキーの姿は、そのような、誰しもがなりうる、人間の弱い側面の表れなのだ。それを、一つ大人になってわかった時、私たちは、誰よりも人間くさい男ロッキーにもう一度賛辞を送れるのではないだろうか。
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