痛い舛添氏
「痛い」
痛いとは、他人の的外れな言動に対する「恥ずかしい」「情けない」「気の毒に」などの気持ち。
【解説】
痛いは通常、自身の体(又は心)の痛みをうったえたり、人の身体の痛みを問いかける際に使われる。この痛いが平成に入り、人の言動に対して用いられるようになる(この場合、イタイ・イタいといったカタカナ表記も使われる)。痛いが用いられる主な言動として、勘違い・場違いなどの見当外れな言動、人が不快・不満に感じる言動など、「恥ずかしい」「情けない」「みっともない(不様)」に通じるものである。また、「痛い子」「痛い話」「痛いサイト」など、後ろに対象を付けて使われることが多い。
以上は日本語俗語辞書にあった「痛い」の説明である。この解説の使用例に習って後ろに対象を付けると「痛い舛添氏」といったところだろうか。一連の彼の行動は「恥ずかしい」「情けない」「気の毒に」の三拍子が見事に揃っている。実際に彼が政治資金を流用したしてないはどうでもいい。法に触れている触れていないなんて気にならない。それよりも重要なのは国民からの信頼があるかないかである。政治家は国民の信頼なしに政を治めることはできないのだから。どんなに頭が良くても腕が良くてもその武器を活かす舞台を失っては宝の持ち腐れである。彼がこれまで活躍してきた都政の舞台を支えていたのは都民だ。彼らからの信頼を失った今、彼はもう主役にはなれない。いや端役すらなれないかもしれない。うん、痛い。
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