付き合いたい男、付き合いたくない男

あ、この人、多めに払わないんだ。
 例えば、まんざらでもない男とのデート。男女平等を叫んでいても、私たちはワガママ。ちょっと彼には頑張ってほしいもの。少し小銭を省いてくれるだけでいいのだ。お金がないなら、理由を説明してくれればいい。それすらもないと、あ、この先はないのかな?なんて感じたりする。
 そう、金銭感覚。カネが人の全てではないが、一つの尺であることもまた事実だ。舛添都知事のカネ問題。これも金銭感覚のトラブルの延長線上にあるのだろう。
 舛添都知事の所業はどこの企業でもやっていることに近い。家族経営の会社は、タクシー、書籍、PASMOへのチャージ代、飲食費等を、領収書を切って、経費として落とす、なんて手段を使っているところも多いらしい。なるほど、税金で持っていかれるくらいなら、使ってしまいたい。彼はこれを何桁も0を増やしてやっていただけのこと。それを都民の税金でやっていただけのこと。税収を自社利益と勘違いしてしまっただけのこと。
 そう、きっと最初はもっと小さい「だけのこと」の集まりだったに違いない。学級委員を決めるのにだって手をあげない日本人が多い中で、自ら大枚をはたいて、お願いしてまでリーダーになる。そうするだけの価値がなくてはおかしい。勿論、世の中をよくしたい、という善意が下敷きにはあるだろう。でもそんな気持ちだけで、あんなに面倒くさそうな仕事を続けられるだろうか。日本の最高学府で教鞭を取っていた彼は計算が得意なはずだ。甘い話がなくては。「やっと都知事になれたのだから、少しくらい。」最初はばれなかった。そこからエスカレートしていった。罪の意識がなかった訳ではないのだ。だが、彼にしてみれば、親のお金を財布からこっそり抜いてしまう中学生くらいの罪悪感からスタートしたのだろう。それにしても随分と大きな中学生だが。
 そうだな。付き合うなら、器の大きい男がいい。

総合政策学部4年 吉岡優希

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です