魅惑のアイヒマン

「悪」はいつの時代も人々を惹きつける。「スター・ウォーズ」然り、「羅生門」然り。形は様々だが、悪の心はいつも人々を魅了して止まない。

映画「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」の中にも、悪に魅了された男がいる。その名は、レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)。アイヒマン裁判の中継を監督した人物である。多くの撮影メンバーはこの仕事を、正義感、憎しみなどの感情のもと行っている。しかし、彼だけは違う。彼だけは、芸術家として、アイヒマンを「アイヒマン・ショーという芸術作品」の対象としてみているのだ。劇中でも、ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)から、「君はアイヒマンに取り憑かれている。」というセリフがある。彼は、憎しみを通り越して、アイヒマンの虜なのだ。

しかし、なぜ、それほどアイヒマンは魅力的なのか。それは、アイヒマンが、一般人にとって、純粋な悪だからかもしれない。何万人もの人間を死に追いやること。それは並大抵のことではない。悪だと分かっていてできることとは到底思えない。それが実行できたのはなぜか。それは、アイヒマンにとって、それは「悪」ではないからだ。アイヒマンは裁判中に何度もこう言っている、「私は命令に従っただけだ。」と。いたって平凡な人間であるアイヒマンにとって、これらの行為は、国への忠誠心のもと行っただけであり、そこには、私たちにとっての悪を純粋に行う姿、私たちと対極にあるもう一つの正義の姿があるのではないだろうか。だからこそ、アイヒマンの「悪」は美しい。

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