欠席課題
環境情報学部4年
對馬好秀
セッション
ひとつの世界に入り込み、その道を極めようとする人間の日々は厳しく険しい。才能と言えば聞こえはいいがそれを開花させるのは難しい。
『セッション』
この映画はその才能を持つ人間たちのハイレベルな戦いを描いている。
努力する天才vs求め尽くす狂気
この映画を自分はあえてこのように表現したい。実力が全てのこの世界で失敗は許されない。結果が出せなければそれまでの努力など誰も評価してはくれない。「よく頑張った」「大変だったな」などそんな言葉で救われるような甘い世界ではないのだ。1か0しかない。しかしこの映画の面白いところはこの白黒はっきりしたわかりやすい世界を舞台に主人公ニーマンが才能を持った人間であるということ。彼の才能がフレッチャーという狂気と対峙することでわかりやすくシンプルにぶつかり合う。そのシンプルさがこの白黒はっきりした世界のコントラストをさらに濃く洗練した状態に引き上げる。
戻ることなく進む一方の時系列、最低限のキャラクター、ストレートなセリフ、引き込まれる演奏。全てにおいてこの映画はシンプルである。必要最低限のものだけで作り上げた映画であり、その必要最低限で集まった要素は洗練され質の高いものだけがそろっている。だからこそ入り込みやすい。ドラムの知識がなくても音楽に触れたことがなくとも世界の高みを地べたを這って進もうとするその姿に誰もが息を飲む。そしてなによりも強烈なのがフレッチャーの存在である。彼のキャラクターはまさに狂気。その狂気に怯えつつ努力する生徒の中でニーマンはその狂気を克服しようと努力する。そのプレッシャーは誰よりも重い。ニーマンとフレッチャーの関係は物語が進むに連れて先生と生徒から師匠と弟子に移り変わりそれがいつの間にかライバルに変わってゆく。
正直セッションというタイトルから想像する楽器同士の音楽のセッションはこの映画には存在しない。そこにあるのは泥にまみれたお世辞にも綺麗とは言えない努力する天才と求め尽くす狂気によるセッションである。