極彩色なモノクローム。
彼の目が捉えたものすべて、そっくりそのまま見てみたかった。若冲展に足を運んだ帰りに、上野駅の改札で思ったことだ。彼のまっすぐに観察する姿、生きとし生けるものに真摯に向き合う姿を想像し、私はため息を溢さずにはいられなかった。
世間への興味関心がないのだろうと、私は彼の絵からそう感じた。商売も早々に弟に譲り、芸事も酒も嗜んでいなかたようである。そして、人生の大イベントである恋愛さえも彼からは感じられなかった。純粋に絵画と向き合い続けた人間である、そう感じた。
どこまでも求めた極彩色。彼は、芸術的には美しくないであろうものまで描いていた。ぼこぼこの瓜、気持ち悪いほどに描かれた昆虫(単なる私の虫嫌いであるが)。生の実在感を高めることで自然の美を描いていた。生命の内側から溢れる輝きをありのままに、どこまでも表現しようとしてこだわり抜いている絵であった。
独特なモノクローム世界。そう感じたのは最初だけだった。彼の描くモノクロームの世界には確かに色があった。彼の見た世界、この世のすべてを、彼は彼自身の筆で切り取りたかったのかもしれない。単なるモノクロに見えた画も、徐々に色付いて見えた。私の目はもう錯覚を起こしていた。彼の描き分けは、黒を変幻自在に操ることで羽根の質感までもとらえた。絶妙なにじみをコントロールし、生命の輪郭までも表現してしまう。黒の世界でいかに極彩色を伝えられるか、躍動を表現できるか。彼の水墨画への挑戦であった。
月明かりのきらめきまでもモノクロで表現してしまう彼には、もう心が奪われた。生命の輝きがありありと伝わってくる。計算され洗練された筆遣い、彼の生命に対する優しさが十二分に伝わってきた。
母と祖母を連れて、親子二代の母の日が若冲展とはと思った。しかし、母に至っては布団の上で購入した図録を眺めるほど気に入ったようである。ああ、そうか。彼の童心に帰ったような絵画は、見るものを童心に帰らせてくれる魔法をかけて楽しませてくれるのか。何色も迷うように塗りたくられた貝甲図の淡い桃色。そこに恋心を感じた私は、もう彼の魔法にかかってしまったのかな。