川でひろう
川で真っ赤な玉をひろった。浅瀬にひっかかっていた玉だった。水面に少しだけ頭を出したコンクリートの隙間にひっかかった玉だった。そのコンクリートが水を流れを整えるためのものなのか、もしくは岸をまもるためのものなのかはわからなかった。どっちの役に立っているようには見えなかった。玉以外にはなにも引っかかっておらず、コンクリートの隙間をさらさらと水が流れていった。
水はとても澄んでいて、おかげで玉は朝日を存分に浴びて、輝いていた。僕は玉をまたぐようにコンクリートに足をおいた。コンクリートのワンブロックは26センチの僕の靴よりも二回りほど大きかった。朝8時の川の水はつめたい。川に手を入れると、ひやりとして気持ちよかった。玉をひろい上げ、水を切った。しぶきが一瞬だけ煌めいて、コンクリートに落ちて黒く染める。手の中の玉を見る。日の加減か、その玉自体が光を放っているように感じた。
玉を放ってはつかみ、放ってはつかみ、家に帰った。家はマンションの三階にある。階段を使ったら、三階と二階の間の踊り場で、吉田さんに会った。
玄関で靴を脱ぎ、廊下を抜けてキッチンへ。冷蔵庫を開けて麦茶を出す。弓子を起こさないようにゆっくりとドアを閉める。電気もつけなかった。しかし、それでも起こしてしまったらしい。麦茶を飲んでいると、眠たげな目をしてリビングに出てきた。
「おはよう、何それ」
「わかんない。川でひろったのだ」
「なんか光ってない?」
「やっぱりそう見えるよね」
「見える。マスター、麦茶プリーズ」
自分の空いたグラスに麦茶を注いで、弓子に出す。僕たち兄妹は仲が良い。弓子は麦茶を一気に飲み干し、カッと威勢よくグラスをおいた。少し目がさめてきたらしく、さて、着替えなきゃと言って自分の部屋に帰っていった。僕は一人リビングに残され、課題の文献を読まなければと思った。
文献を読まなければいけないと思いながら、僕はテーブルの上の玉をずっと見ていた。小難しい文章を読むのがおっくうだったのも確かだったが、その玉が、見ていて飽きない心ひかれるものだったのも確かだった。テーブルの上をコロコロ転がしてみる。白無垢のテーブルにやっぱり光っている。日光のなかではわかりづらかったが、電気を消したままの薄暗い部屋のなかだと確かに光っていることがわかる。電球のようにはっきりとした光ではなく、提灯のようにぼんやりと光っている。蓄光性のある鉱物なのだろうか。ギュッと握ってみる。反発するように光が増す。不思議な玉だと思った。
玄関が開く音がした。母が帰ってきたらしい。時計を見る。十二時だ。日曜のカルチャーセンターで、太極拳の練習をしてきたのだ。その時、僕は玉をいじりながら、あきらめて文献を読んでいた。訳がひどいのでたびたびつまって、その度に玉をいじっていた。ほとんど進んでいない。
「カーテンあけなさいよ」
僕はカーテンをあけ、母に麦茶を出した。母が着替えの入ったバッグをテーブルに置くと衝撃で玉が落ちた。床に落ちて、コンコンと音をたて、窓のほうに転がった。日光を浴びると玉の光はより強いものになったように見えた。
「あんたその玉どうしたの?」
「ひろったんだ」
「川で?」
「なんで知ってるの?」
「その玉、私が子供の時に落としたやつよ」
母が落としたものをひろうなら別に不思議なことは無い。しかし、母が子供の時に落とした物を今さら僕がひろうというのはおかしな話だ。母が子供の時と言ったら、少なく見積もって三十年、四十年は立っているハズだ。なんて答えたらいいのかわからず、なんとなく玉を見る。キズひとつ無く、つやつやと光っている。とても、三十年以上前から存在する物質には見えない。とりあえず、どういうこと? と聞いてみた。母は少し待つように言い、バックから取り出した食料品を冷蔵庫に入れ始めた。母はなにかをしながらなにかをするタイプではないし、僕がせかしたからといって自分のペースを変えるようなタイプでもない。僕はあきらめて玉を見つめた。なにやらツヤが増したような気がする。つかむと手のなかにすっぽりと収まる。なんだかじんわり暖かく、その暖かさは八月の日本でも嫌われない暖かさだった。なにか理由があったはけではないが、僕は玉をこすってみた。強くでは無く優しく。なんだか、少しずつ暖まっているように感じる。
「さて、どこからはなしましょうか」
どこからと言われても、なにがどこからはじまって、どこまで言って終わるのか、僕には検討もつかない。玉を見る。ただ、この玉が登場するのはわかる。思案し続ける母の前に、僕はとりあえず玉を置いた。母はそれを手に取り、そして、子供がビー玉をすかしてみるように、玉を太陽にかざした。目がやけないか心配になる。玉を通過した光が撹拌し、母の顔を赤く染める。ネオンライトみたいだと思った。そこには何も見えないはずだが、母はしばらくそうしていた。
僕はなにも言うことが無いので、黙ってそれを見つめていた。母はやがて玉をテーブルに置き、置かれた玉はころころと僕の方に転がってきた。僕はそれをつかんだ。玉はまた、少し暖まっている。
「使い方から教えた方が早いわね」
「強く、強く、握りなさい」
母の言葉は不思議な響きを持って響いた。日常の言葉ではないような、厳粛な儀式ではっせられる言葉のように響いた。言われた通りに、強く、強く、握る。両手で、しっかりと握る。テーブルに肘をつき、自然と祈るようなかたちになる。はたから見たら、母に告解しているようにみえただろう。そうすることが好ましいような気がして、目をつぶった。
まず、手のひらの感覚が消えた。驚きは無かった。手のひらから広がり、手首まで、だんだんに感覚が消えていく。目は開けなかった。静かにその状態を維持していた。肘の感覚が消えたところで、手のひらが、手のひらのかたちをしたエネルギーのかたまりのようになったところが見えた。まぶたの上に日の光を感じるように、そのエネルギーは確かに感じられた。オレンジ色の、不安定なエネルギーは感覚が消えていくのを追いかけるように少しずつ広がってゆく。実体としての僕の体を、少しずつ抽象的なものにつくりかえていく作業のようだ。肩の感覚が消える。無感覚は頭へは向かわず、肩から胸、腹、と下ってゆく。このままでは僕の頭はエネルギーの上に乗っかる、カナリ不格好なものになりそうだ。そう思ったとき、意識が途絶えた。
母が子供だったころ、正確には、小学校三年生だったころ、実家の前にあったのは、ラーメン屋ではなかった。そこには、わけのわからない植物をあつかう、花屋があった。母の町は、貝浜川、来瀬川、三戸川の三つの川が流れている。僕たちの先祖は、GHQに土地を奪われるまで、その豊かさを存分に享受してきた。土地の豊かさが富に直結した時代だった。しかし、60年台においては、僕らの住む市街地には土地が豊かかどうかなんて、意味のないことだった。コンクリートが敷きつめられたその下が豊かかどうかなんて。そんな場所になぜ、その花屋が店を開いたのか、祖父や、当時はまだ生きていた曾祖父にもわからないことだった。町の顔だった我が家にもわからなかったのだから、多分それは誰も知らない謎だったのだ。
小学三年生の母は、毎日うつむきながら学校から帰り、そして必ずその花屋に寄った。花が好きだったわけではない。目が真っ赤なまま帰れば祖母にしかられてしまうからだ。祖母、つまり母の母は、泣きながら帰ってきた母を家に決して入れなかった。負けて帰ってきたのか。仕返ししてきなさい。それまで家には入れません。しかし、母には仕返しが出来なかった。だから、その花屋にこもり、いろんな花を見るふりをしながら、母は目のハレがひくのを待っていた。
で、待っている間になぜこんなところに隠れるはめになるのかとまた泣いた。疲れ、涙が出なくなり、そして、目から血が退くのを、ずっとそこで待っていた。母はどうしても祖母の言う仕返しをする気になれなかった。怯えもあった。しかし、なによりも仕返しするべき相手がわからなかった。確かに、母はクラスのみんなから無視されていた。何人かそれを指示しているらしき人間もいたし、それを見てニヤニヤしているクラスメイトもたくさんいた。でも、そいつらを憎む気には、母はどうしてもなれなかった。ただただ悲しく、毎日毎日泣いて帰るはめになり、祖母にしかられる。なぜ戦わないのか、なぜこけにされたまま帰ってくるのか。その問いに上手く答えることができなかった。祖父、母の父は母に主犯格の名前を教えろと言った。この町にいられなくさせてやるから、安心しろと言った。祖母は母が自身で解決しなければ意味がないと言った。祖母がそう言わなくても母は祖父を頼る気はなかった。母は悲しいとは感じていても、誰かに対して怒りや憎しみの気持ちはなかった。怒れない母を祖母は根性なしと罵った。自分は根性なしではないと母は思ったが、それを証明する手立てはなかった。祖母の説教の間、母はずっとうつむいて黙っていた。
夏だった。4月の終わりから続いていた無視はあいも変わらず続いていたが、祖母はもう母を叱らなくなっていた。2年生だったころと表面上は変わらない毎日が続いた。しかし、母は祖母が自分を許してくれたわけではないと思っていた。ただ見捨てられただけだと思っていた。教室のでの扱いにもなれ、もう泣きながら帰ることはなくなっていたが、相変わらず夕食の時間まで花屋で時間をつぶした。
花屋は田舎の店鋪にしては小さい方で、三十畳ほどの面積だった。二つの入り口とレジカウンター以外の壁全面と部屋の中心当たりに二つの正方形の台に所せましと、植物が置いてあった。通路はその隙間にあって、ただでさえ死角が多い八の字通路に加えて飛び出た枝が視界を遮り、店主が見えているのは店の3分の1にも満たなかった。概して大きな鉢植えが多いからか、はたまた母以外の客がほとんどいないからは、そんなところでも万引きはおきなかった。
その夏の日、母は久々に泣いていた。理由は風邪の時の弁当だった。風邪の時、祖母は必ず消化のいいものでこしらえた弁当を持たせて母を学校に送りだした。それが今日なかった。なんとなく感づいてはいたものの、やはり祖母から見捨てられているのだと知り、涙が出た。いつもの大きな鉢植えに腰掛けて泣いた。
「久々に泣いてるねえ」奥から男の声が聞こえた。母はぎょっとした。
「どうしたいこっちにおいで」一拍おいて、ここの店主の声だと気がつく。実は顔も声もよく知らなかった。初めて入った時に、一言二言話したが、それ以来は顔も声も聞いていなかった。二人は別々のドアを使い、その間には木々が生い茂っていた。
「はい」訝しく思いながらも立ち上がり、向かう。ここの支配者は彼なのだと考えたからだった。
「んで、店主がその玉をくれたわけよ」
「んあ。ん。うん」
突然我に帰る。目の前には母がいて、手の中には玉がある。変わらず、薄ぼんやりと光っている。時間の感覚が歪む。僕はその続きを見ていた。玉というよりも岩のような硬い果物、旬のスイカほどの大きさの果物を貰った母が、店主に言われたように少しづつ彫刻刀でそれを削りながらその花での時間を過ごすようになったところまで見た。一瞬、店主と出会ってからが夢だったのかと思うが、最初から全て夢だったことを少ししてから思い出す。
「んで、その後失くしたんだけど、なぜか今あんたの手の中にあると」
「失くした?せっかく削り出したのにすぐ?」僕は食いぎみに質問をぶつける。
「ちゃーわよ。何回か使ったわ。店主さんに使い方を教えてもらってね。私の念を込めて寝ている婆ちゃんの手に握らせて気持ちを伝えたわけよ復讐とか仕返しとか興味がないって気持ちを伝えて、仲直りしたのよ。その時は」少し面倒そうに母が説明する。
「勘当された時は?使わなったの?」
「その前に失くしてたからねえ」チラリと時計を見る。
「なんでこんな凄いもん失くしたのさ」
「別に大したもんじゃないわよ。子供だったから大変だったけど、成長するに連れて自分の意見も言えるようになるし、なにより、なによりね、便利なもんに頼ってちゃいけないわけよ」早口でまくし立ててから、時計を見、冷蔵庫を見る。腹が減っているのだ。
大したもんじゃないと言いながら便利だと言っているし、矛盾だらけだ。どうやって失くしたか覚えていないのだろう。しかもとにかく腹が減っているのだ。母は腹が減っている時に別のことを考えられる人間ではない。
さっき、自分の中に流れ込んできた少女と同一人物なのか疑わしく思う。夢をみた時のように、さっきまでの記憶がどんどん薄らいで行くのを感じる。ただ、ぼんやりと少女の悲しみと磨くことへの熱は胸に色濃く残っている。しかし、出てきた町や家は確かに僕と弓子しか帰ることのできない母の実家だった。
そのあとも色々あったわけだ。ふとそう思う。いじめが終わった後も、祖母と仲直りしたあとも。50年か。母の生きてきた時間を思い浮かべる。数字にすることはできてもその中身を想像することはできない。
俺は自分の部屋にもどり、赤い玉をカウンターに置いた。弓子が帰ってきたら、俺の念を送ってやろう。