リアルを生きる

 桜の花びらが散る景色を知らないのか。雨がやさしく降り注ぐ空も、澄み切った青空と太陽の下で吸い込む空気も、紅葉がはらはらと落ちる色鮮やかさも、突き刺すような冷たさのなか積もる雪も。どんな空気でどんな音が溢れているのか知らないのか、とそんなことをぼやっと考えながら向かった。そもそも、こんなに色鮮やかな四季があるのは日本だけだ、なんて。
この映画はアカデミー賞主演女優賞を演じた彼女、ジョイの視点から描かれるのかと思いきや、息子のジャックの見る世界により語られている。特に、ルームを出てからの彼の目に映るもの、7年間の重みがずっしりとのしかかった彼女の精神状態には心臓をえぐられるものがあった。彼にも痛いほど伝わっていたのだろう。別の視点から描かれていたアートセラピーのシーンでは、込み上げる想いが自然と整理されているように感じた。彼の見る世界は、いつだって本物だ。
「目は口ほどに物を言う」とはこのことかと痛感した。あの悲惨な過去からつくりだされた小さなルームでさえも、彼にとってはきらきらした世界だった。いや、彼女が彼を守るために作り出したきらきらな世界が、彼にきらきらした目を与えたのかもしれない。その目には何が映ったのか、絶妙なカメラワークに、言葉では表現しきれない何かが上乗せされて、私は感情の渦の中に飲み込まれそうになった。何度も溺れそうになり、乱れた呼吸を息継ぎするように最後まで見届けた。
この物語は、暗く重い悲惨な物語ではない。かと言って、綺麗な物語でもない。人の情動に丁寧に寄り添った、いわゆる人間臭さのある物語である。ジョイ=喜び。人としての喜び、幸せをどこまでも切に願った彼女と彼が部屋を出て、社会で生きていくまでの物語。彼らがこれから何を見て何を感じて、どのように生きていくのか。その答えはわからないが、それでも確実に彼らはルームを背に歩き出した。最後の言葉に想いを込めて。ここからがジョイとジャックにとって本当の物語である。

バージョン 2

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