深すぎる映画『ROOM』

環境情報学部4年
對馬好秀

「ROOM」

5歳になったばっかりのジャックにとって、小さな『部屋』が彼の世界だった。
その小さな部屋で7年もの月日を過ごしてきた彼女にとって、そこは『監獄』だった。
この映画は、その異なる視点を持った2人が同じ日常を過ごすところから物語は始まる。

「髪には力が宿る」そう教えられ女の子に見えてしまうほどに髪が伸びた少年ジャック。彼はその目の前に広がる大きな世界を謳歌していた。しかし、母親であるジョイはこの小さな部屋から逃げ出すことを計画していた。
『監獄』から脱出を試みるジョイに言われるがまま協力するジャックはその脱出の際に『本物』の世界を目の当たりにする。

自分はこの映画を見て言葉を失った。理由はその深さにあった。どの人物の視点で観るかによって捉え方が大きく変わってくる。地獄から抜け出したいジョイ。世界を謳歌しているジャック。奇跡の生還を喜び失われた時間を取り戻そうとする母。昔の話と割り切りつつも帰ってきた奇跡を受け入れられない父。新しい家族の生活としてスタートを踏み出したいレオ。ジャックとジョイの2人を「人の弱さを乗り越えた奇跡のエピソード」として人生に希望を見出したい人々。ひとつの物語でここまで違う視点が交差した物語が果たして今まであっただろうか。そこにさらに「ジャックの変化」と「母親としてのジョイ」が加わる。
ジャックが『本物』の世界に慣れるまで、時間はあまりかからなかった。広い世界を知り、彼の中にあった今までの世界は大きく姿を変えていた。ドアは閉まっているものではなくなり、部屋に入ってくる人は大切な存在へと変わっていった。
4歳のジャックは「小さい世界」の全てを知っていた。そして『本物』の世界を知った5歳になったばかりのジャックもまた「僕は全てを知っている」と言っていた。自分はこの発言に一種の恐ろしさを感じた。部屋に対して比べ物にならない大きさの世界を彼は数ヶ月で知った気になってしまったと感じたのだ。

そしてこれはジョイが本当の意味で母になる話でもあるとも感じた。この映画でブリー・ラーソンは主演女優賞を受賞した。その受賞に結びついた役名が映画のエンドロールには「Mom」と紹介されていた。「ジョイ」役ではなく「ママ」という役名なのだ。これにまた自分は様々な意味を感じた。ジャックからすればずっとママだ。それは母親という意味でもあるが、ジャックは自分のママ以外のママを知らない。では、ジョイが本当の意味で「ママ」になったのはいつだろうか。
外に出て家族に会い、インタビューをされるにつれ彼女は自分が今まで普通だと思ってやっていた子育ては「普通ではなかったのかもしれない」と思うようになってしまった。そして弱ってしまったジョイにジャックはその「力の宿る髪」を切り送った。
ジョイはその髪を見て「きっとよくなる」と思った。この瞬間が彼女が「ママ」になった瞬間ではないかと自分は感じた。それは自分の少しずれてしまった子育ても決して悪いだけではなかったと感じた瞬間だったのではないか。

この映画は華麗なる脱出劇でも困難を乗り越えた奇跡の物語でもない。人間の弱さに打ち勝とうとする人たちの決して美しいばかりでない『本物』の物語である。

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