等身大の神様
西洋人ってすごく肌がきめ細やかなのね、と思っていたのは教科書によくある西洋画の影響が強いのだろう。実際、白人の多くは日焼け対策の怠りから出現するシミ、ソバカスが酷かったり、体毛も濃かったりする。いや、でもよく考えたら、最近のプリクラなんかと似たようなものではないか?目を大きく。美肌に。顔を小さく。脚を長く。後世に遺されていったら、同じようなことを思うのかもしれない。
バッカスと2度目の対面の最中そんなことを考えた。
カラヴァッジョ展に出かけてみた。この時代の絵画は肖像画か、宗教画ばかりで、背景がとにかく暗いイメージである。正直苦手だった。しかし母国語はすごい。絵画の背景が見えれば、一番の魅力どころがわかるのだから。船に乗れず、ローマまで歩く途中で熱病にかかり死んだカラヴァッジョ。海を越えてやってくる絵画。いい時代になったものだ。
豊饒の神、バッカス。仏留学中、演劇史でよく聞いた。演劇の起源は神への供物である。例えば、豊饒を祈るため。つまりバッカスに捧げる演目が多かった、と教えられた気がする。最初から頭に浮かぶバッカスのイメージは、彼だった。教科書の記憶に起因するのだろう。初めて本物に出会ったのは、ウッフィッツィ美術館だった。
気だるそうな目でグラスを掲げる若者。シミ一つない肌。染まる頬。だらしないのにモテそうなこの男にイラっとしつつも、本気では怒れない。神様らしくない。バッカスの人格が破綻していることを差し置いても、彼が描く神々は等身大だった。
本展示の目玉、世界初公開の『法悦のマグダラのマリア』。宗教画?でも、美しかった。元は娼婦の彼女。法悦=エクスタシイ。私には宗教的な意味合いではなく、性的な快楽に溺れているように見えた。他のマグダラのマリアに比べ細身で色白で(不健康すぎるけど)、現代的な美人に近い。堕ちた女としての退廃的な感じが素敵だった。
でも、家に飾るなら、果物籠かな。
総合政策学部 吉岡優希