『カラヴァッジョ展』

『カラヴァッジョ展』

 

人物の描かれた絵が昔から嫌いだった。嫌いと言うより肌に合わない。少し酸の強い洗顔料を使うとすぐに肌が荒れる。ゴッホやモネの絵が展示されている時に限って上野に脚を運ぶのは、天然由来の洗顔料だと肌が荒れないからかもしれない。「カラヴァッジョ」という名を聞いて「嫌な予感」がした。ネットで美術館のホームページを見て確信。「これは、荒れる」。

足取りが重い。館内に入る前に喫煙所で一服。ピクサー展に行きい。だけど目の前にはカラヴァッジョ。行かねば。上野駅までの電車賃が僕の背中を後押しする。

入場を出迎える一枚目の絵。その時点で、今まで自分が観賞したことのある絵画とはやはりタイプが違うと感じた。「女占い師」がそれだった。

そこにはドラマがあった。(安っぽい広告文句を使ってみる。)しかし、たしかにあった。人間同士の関わりを切り取った、シーンの抜粋がそこにある。風景画を観賞した時とは明らかに違う。物語を想像する。一枚一枚、丁寧に観ていく。

何枚か観た後、身体の異変に気づいた。肌が荒れてきた。さすがにそれはない。代わりに異様な疲労感が僕を襲ってくる。身体が重い。展示されている絵がどうにも暗く感じてならないからだ。ただ、よく考えてみればそれもそのはず。真面目な僕は、人殺しが語る物語に没入していたのだ。どう考えてもハッピーな気分には成り得ないだろう。終盤には斬首のコーナー。もう許して下さい。そんな気持ちで一応見たが、耳は塞いでおくことにした。

殺人の罪から逃れてまでも絵を描く。銃刀法違反で捕まる。自分が一番だと言い張る。どれもこれも横暴で、繊細さの欠片も感じられない出来事と言動ばかりだ。野蛮だ。だが絵は違う。恐ろしいほど繊細で丁寧。階級の違いを指先の汚れまで描くことで表現する徹底ぶり。究極の「ギャップ萌え」を絵により実現させたカラヴァッジョ。ギャップに弱いそこのあなたには、気軽な気持ちで彼に会わないことをおすすめする。

 

福田周平

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