「ばかもの」に見る男性像

絲山秋子「ばかもの」

糸山秋子の「ばかもの」は、新潮文により平成二十二年に行された。

主人公ヒデは、人生に大きな目的を持たない。規則的な生活ができずに、大学3年生にして、何も描くことのできない将来に、漠然とした不安を抱えている。そんなヒデは、男りな性格の年上女性、子の家に入り浸っていた。呼ばれればんで行き、彼女と共に夜を明かした。中だった。

そんな二人の関係はしかし、子がいきなりれを告げることでわってしまう。子は婚を意したと言い、ヒデは、人生の唯一の目的意を失ってしまう。

その後ヒデは、月みの会社に就をして、自分を大切にしてくれる翔子とも出会う。彼の日常は月み。しいひともあれば、憂鬱時間もあった。日仕事の後にむ酒は、最高だった。だが、彼の日常的なアルコ取は重度のアルコル依存症にまで姿をえてしまう。彼は毎晩潰れるまで飲み続け、記憶のない中で翔子を傷つけ、友達までも失う。

友達を失ったことで、ヒデの飲酒に歯車がかかり、彼は人生を捨ててしまう。

「ばかもの」は、ヒデの思考の中でのみ展開されていく。ヒデの目に映ったもの、ヒデの感じたこと、ヒデの触ったもの、ヒデの妄想。この作品はまるで、読者が彼の日記を勝手に読み漁っているかのような気分にさせる。

作品の冒頭から、まるでヒデの見ているものがくっきりと見えるかのようである。小説の始まりとしては衝撃的だ。ヒデと額子の体の会話と、ヒデの頭の中の独り言。

彼の頭の中はいつもごちゃごちゃだ。妄想と、自分の感情と、目の前の現実の把握と、学校の単位と、将来への不安と、性的欲求と、額子への熱。

そして彼の人生に対する脱力感。

まるで残り物で溢れてしまった冷蔵庫の様な彼の頭の中を覗いていると、苛つきを覚える。なぜなら、誰しもが同じ経験をしているからだ。ヒデは、ありふれた日本人青年であり、読者は彼の中に自分を垣間見たり、懐かしんだりするだろう。

読者はそんな彼と共に人生を歩むことになる。堕落し、人としての名誉を失い、絶望し、自分と戦い、そして最後には、愛を見る。

彼を通して経験する人生は、読者を引き込み、離さない。絲山秋子の描くこの一人の男性の人生は、あまりにもリアルで、酷だ。しかしそれと同時に、二人の人間が心を通わせた瞬間までも、リアルなのである。絲山秋子の世界に引き込まれない人は、いないだろう。

研究会履修選抜課題 「ばかもの」絲山秋子

総合政策学部3年 北島ありさ

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