私はパリとともにあるのか?
11月14日の朝、目覚めてパソコンを開くとやけにTwitterが騒がしい。
パリで大規模なテロが起きたそうだ。
状況を飲み込めないまま、気がつくとfacebookのプロフィール写真が一人また一人とフランス国旗の赤・白・青に染まっていた。ただのユーザー間の流行かと思ったが、そうではない。facebookがワンクリックでユーザーのプロフィール画像の上にトリコロールカラーを重ねる機能を追加したのだ。トリコロールカラーのプロフィール画像は、「Je Suis Paris」(私はパリとともにある)というメッセージと共に瞬く間に広がった。
しかし、あの日、本当に私たちはパリとともにあったのだろうか。
トリコロールカラーのプロフィール画像には偽善だとの声も多くあがった。3.11の時にも似たようなものがSNSで流行ったが、被災者の意向によって廃れることとなった。そして、ガザ、レバノン、パキスタンなど、他の多くの国々で同様のテロが起きているのに何故、パリだけなのかという疑問も生まれた。この表面的な追悼は私たちと被災者の埋めがたい意識の差を一層浮き彫りにしたのではないか。
プロフィール画像の是非を問う議論が加熱する中、それを傍観していた私の世界はもっと狭い。パリでテロがあったと聞いた時、私はパリに留学していた友人の安否を尋ねるLINEをいれただけだった。そして、友人の無事が確認された時点で私の中でパリ同時多発テロの悲惨な現実は日常に溶けていった。
それからパリ同時多発テロのことを考えたのはたったの1回である。2月に北欧を旅行した時だ。何故、旅行した時にだけパリ同時多発テロのことを思い出したのだろう。北欧は日本に比べてパリに近い。しかし、それ以上に旅先の非日常が私に日常に溶け込んだテロの危機を思い起こさせたのだ。私は、無意識に日本は安全であるという不確かな幻想を信じ込んでいたのである。テロは今まで様々な場所で起きてきたし、もはやどこで起きてもおかしくないというのに。