はじめての美術鑑賞
総合政策学部4年
澤津 勝人
初めて美術館という場所に足を運んだ。オノヨーコのバックグラウンドをほとんど知らないまま行ったため、正直ほとんど作品においてオノ・ヨーコの意図を汲み取ることは出来なかった。しかし、初めての美術鑑賞が、オノ・ヨーコ展であったことに対しては、大きな意味があったと思う。 会場に入った瞬間、お洒落な雑貨屋のような鳥籠が点々と吊るされていた。作品の横にも、ほとんど説明書きもなくただタイトルだけが添えられていた。出鼻から、やはりここに来たのは場違いだったと確信する同時に、無性にその場にいる事自体が恥かしくなってきた。しかし、馴染みのあるポップアートのような現代美術も徐々に現れ、どうにか自分自身の興味を繋ぎ止められていた。
そんなアンバランスな心情のまま奥に進んだ先に、突如現れた女の人の局部のアップを上映している空間に驚きを隠しきれなかった。周りの人は、美術の一環としてごく当たり前のように鑑賞していたが、自分にとっては、その作品が上映されていることはもちろん、その裸体を美術として受け入れている観客を含めた空間自体に、とてつもない違和感を感じた。美術館の中においては、恥ずかしがって直視できない自分が異質だが、一歩外にでれば、その空間自体が異質なものとなる。まさにその境界線を作る役割こそ、美術館にあるのだと実感した。そのあともいくつかの作品はあったが、自分の美術感性では、到底理解できない難解な作品から、実際に鑑賞者が想像したり、アクションを起こせるワークスペースが設けられていたため、自分自身の興味の意図をどうにか最後まで繋ぎ止めることができていた。
作品を見終わったあと、やはり美術と自分はほど遠い存在であると改めて確認させられた。また、その圧倒的な距離感を肌で実感できただけでも、足を運んだ価値はあったと思う。たしかに、中途半端にルーブル美術館のモナリザなどを見て、考え耽け、知った気になるのも気持ち良いかもしれない。しかし、難解だからこそ、見たまま感じたままに楽しめているか素直に自分に問いを投げかけることで、美術鑑賞に対する固定概念が取っ払うことができ、自分の感性を大切にしたいとふっと終わった後思えたのかもしれない。