16の駒を繰るのは誰か(『完全なるチェックメイト』)

<16の駒を繰るのは誰か。チェスに巡る光と闇を描く作品。>
 
 本作『完全なるチェックメイト』(原題:Pawn Sacrifice)は、アメリカのチェスマスター「ボビー・フィッシャー」にまつわる実話を基にした作品だ。少年時代からチェスの才覚を認められ、チェスの頂点を目指しその世界に没入するボビーだが、その才能を冷戦時代の米露の政治闘争に利用されてしまう。多方面からの後押しもあり、徐々にチェスの頂点に近づく彼だが、同時に、幼少期から兆候のあった統合失調症を悪化させ、人として崩壊していくのであった…

 『完全なるチェックメイト』と聞くと、パーフェクトゲームを目指して腕を磨き上げるチェスプレイヤーのサクセスストーリーか、チェスを題材にした完全犯罪サスペンスなんかを想像してしまう。この作品の本質は微塵もそんなところにはない。原題である『Pawn Sacrifice』を念頭にこの作品は楽しむべきだ。
 邦題から感じられる強いイメージとは真逆の『Pawn Sacrifice』という題にはどんな意味が込められているのか。そこには、『当時の米政府にとって「ボビー・フィッシャー」というチェスプレイヤーは、所詮相手に取られてもいいポーンのような存在でしかなかった』という意図が込められているそうだ。劇中終盤、統合失調症が悪化したボビーを米政府が様々な罪状で牢獄に入れようとしたことが、当時の映像を交えて描かれていた。なるほど、納得のいく深い題である。チェスにおいてポーンを犠牲にするというアクションは、その後の展開を有利に進める一手段として認められているという点が、なんとも皮肉である。
 この原題と意図を聞いたとき、こちらの方がよっぽど作品を物語っていると感じ、日本映画市場の罪深さに頭を抱えたのは言うまでもない。

 表面的には16の駒を巧みに操っているのはチェスマスター達であるが、この作品、史実において最も巧みに駒を繰っていたのは誰なのか。観劇前はただただ“カッコいい”という印象しか抱けなかったポスターを観劇後に見返す。鈍く光るチェス盤と駒の白と黒に、駒を繰る人々の光と闇が、確かに宿っていた気がした。

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