筋肉がいっぱい

 

 

筋肉がいっぱい

木下 恭順

 

ここは東京都立第一体育館、壇上では黒ブリーフ一枚だけ履いた男達がオリジナリティ溢れるボーズで横並びに立っている。男達は皆、日に焼けた褐色の肌にオイルを塗り、強いライトに照らされ異様なまでに黒光りしている。

 

「キレてる!キレてるよ!」

客席から歓声が上がる。

 

男達は体を前屈みにし、拳を付き合わせたポーズをとり、歓声に応えるかのように体中に力を入れ筋肉を隆起させる。筋だらけの顔、ポマードを塗りたくった髪、節制に節制を重ねた肉体でオスの持つセクシーさを存分でアピールする。ぷっくりとした上腕二頭筋、芸術的な曲線を持つ大腿四頭筋、正確無比なトライアングルを描く三角筋、筋肉の一つ一つがまるで意志を持つかのように己の存在をアピールする。

 

壇上の中で一際、観客の注目と声援を集める男がいた。木村 正己 36才、日本人初のプロボディビルダーであり全日本ボディビル選手権六連覇中の名実共に日本トップボディビルダーである。全日本選手権の前哨戦である今大会、東日本選手権でも優勝候補大本命であった。大会は集団演技が終わり、個人演技に移った。次々と選手が演技を終える中、観客の気持ちは最終演技者である木村に集まっていった。

 

「選手番号一番 大会特別招待選手 木村 正巳」

木村の名前が呼ばれた。

 

木村は自身のテーマ曲である「エマニュエル婦人」のムーディなメロディーに乗ってゆっくりと現れた。舞台の中央に立った木村はまず基本姿勢であるリラックスポーズで、時間をかけて観客に自分の体をアピールする。王者の余裕がなせる技であった。そして、体中に力を充満させボーズをダブルバイセプスに移し、自身の筋肉のボリュームを観客に見せつける。次はサイドチェストの姿勢を取り、胸板の厚さを強調し男らしさを醸し出し会場中を自分の虜にした。その後も、サイドトライセプス、モストマスキュラーからのラッドスプレッドとポージングを移行して行った。

そして、観客が待ちに待った瞬間に近づいていった。会場中が静寂で包れる。木村 正巳、演技最後のポーズであるオリバポーズを繰り出した。両手を点に掲げ外側に拳をひねり対照にするそのポージングは、筋肉量、筋肉美、スタイル、テクニックの全てが揃うことによって成立し、一つ間違えるとこれ以上無く滑稽な姿を晒すこととなる最高難易度のポージングである。木村をこのオリバポーズを完璧に演じきり優勝を確定させた。

 

東日本選手権を圧勝した木村であったが笑顔は無く、その鋭いまなざしは大会に出場した選手ではなく、世界に向けられていた。

 

三年前、無敵の国内王者として世界へ打って出た木村は、環太平洋オープン、東アジア選手権と着実に実績を残し、アジア人として初めてボディビルの祭典、世界最高のボディビルダーを決める大会「ミスターオリンピア」へ出場することとなった。過去の優勝者にアーノルド・シュワルツネッガーと言ったハリウッドスターも名を連ねるこの大会に、初参戦の木村の心は希望満ちあふれていた。しかし、その希望は無惨にも打ち砕かれることとなる。外国人選手との圧倒的な対格差、そしてその肉体から繰り出されるポージングのバリュエーション、オリジナリティ、テクニック、ショーマンシップ、全てが自分とは次元の違うものであった。木村は三十七人中三十七位の最下位に終わり、世界との差をまざまざと見せつけられることとなった。大会終了後、木村の演技を覚えている人間はいない程、圧倒的な差がそこには存在した。

 

帰国後、木村はそれまでサラリーマンと二足のわらじを履いていたが、仕事を辞めボディビルディングを中心とした生活をすることを決意する。トレーニングから食事、睡眠まで生活のすべてを筋肉の為に捧げ、胃に隙間が出来れば食べ物を流し込み、ウエイトトレーニングにおいても高重量で一気に筋繊維を断裂させ超回復により筋肥大させる方法に切り替えバルクアップを図った。また通常時の体重をそれまでの100kg前後から130kgに上げ、筋肉の栄養である脂肪を常に体に備蓄しながら、大会直前に急激な減量をすることで一気に脂肪を削ぎ落とし当日の筋肉量を最大にする減量方法に変え大会に出場し続けた。

 

以降、木村の筋肉量は飛躍的に伸び国内とアジア圏では前にもましての圧勝することとなった。その活躍は木村の前の世代の絶対王者であったジュラシック松村に引退を決意させる程のものであった。そして、自分の成長を確信し再度アメリカで行なれる『アーノルド・クラシック』にアジア代表として出場することとなった。一年前の「ミスターオリンピア」での雪辱を晴らすべく、演技前に腕立て伏せで入念に体をパンクアップさせ本番に臨んだ。しかし、そこにあったのは一年前以上の世界の壁であった。筋肉量、ポージング全てにおいて進化を確信していた木村であったが世界はそれ以上のスピードで進化を続けていた。特に、木村に大きなショックを与えたのは優勝者であるダキスター・ジャクソンの肉体であった。

 

ダキスター・ジャクソン、168cmと小柄ながら、内蔵肥大を起こしていない左右正対照の肉体と世界一美しいカットを持つ男は体に筋肉のシンメトリーを描き、その鋼のような肉体から「THE BLADE」の異名を持つ。小柄故、筋肉量では大柄の選手に劣るが、不足無く十分な筋肉を肉体にまとい、その美しさを最大のストロングポイントとした選手が優勝したことは木村にとって青天の霹靂であった。筋肉のボリュームで優れた木村が全てを捧げて筋肉量を上げている間、世界はその上の筋肉の美しさに磨きを掛けていたのであった。木村は「ミスターオリンピア」の時以上の絶望感を抱き帰国することとなった。

 

続く

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