『岸辺の旅』

<“手放す”強さを受け取れる一作>

“失う”と“手放す”は違うみたい…

 かつてアーティストの絢香が出した『real voice』という曲にある一節だ。

 『岸辺の旅』という映画を観た。原作は湯本香樹実さんが著した小説である。
3年間失踪していた夫が霊体として妻のもとに現れ、妻を連れて彼のやりのこしたことを果たすための旅を始めるところから物語は始まる。妻は当然旅の終わりを夫との別れと悟っている。彼女は「失踪」と「死別」、失う辛さを二度味わうことになるのか。
 20数年程度生きた身分で言うのも何だが、私も「失う辛さ」には覚えがある。この作品を観たあと、冒頭にだした『real voice』の一節を思い出した。“失う”は辛いものだ。自分の意思や願いとは裏腹に起きるものだ。だが“手放す”となると話は違う。“手放す”も確かに辛い。だが、失うと違いそこには明確に決別する意思と強さがある。

 この物語を観たあとにこの一節を思い出したのはきっと、旅を経た夫の「失う」が「手放す」に変わったように私が思ったからだろう。物語の最後、いなくなった夫の、二度と帰らぬとわかっている夫の荷物と共に、妻は歩き出す。彼女の「失う」は「手放す」になったのだろうか。彼女はまだ生きている。私には荷物を携えた彼女の姿から「手放す」を感じることはできなかった。だが確かに歩き出した彼女の姿には、「失う」を「手放す」に変える自分自身の旅を始めた気配がみえた。辛く、哀しいが、同時に強さを受け取れる秀作である。

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