岸辺のほとりを歩く旅
瑞希は、失踪した夫、優介と突然の再開を果たす。そして、「おれ、死んだよ」と彼は言った。飯を食べ、眠り、髭を剃り、心臓を動かす彼だが、幽霊なのだった。彼は、カニに食べられ最後を迎えたという。その後二人は、彼が世話になった人々を訪ずれる、彼岸(死後の世界)のほとりを歩く旅に出る。
岸辺の旅は解釈を託した作品だ。彼はどうやって、どんな理屈で蘇ったのか。なぜ旅に出たのか。加えて、シーンとシーンをつなぐ部分の多くは省略されている。時系列すら明確ではない。そういった、不明瞭で抽象化されたあらゆるファクターの解釈は、観る人に任されている。そう感じられる作品だった。
この作品の中で描かれる幽霊は、脚がなかったり、体が透けていたりはしない。愛する人の幽霊を死者だと認識する要因がほとんどないのだ。それでも死者だという事実がどれだけもどかしいものだろうか。作中、二人は何度もベットで共に眠る。瑞希は、一度彼に行為を迫り、拒否されてしまう。この幽霊には「触れられる」のにセックスはできないという条件が存在するようだった。その事実は至上のじらしである。一度は失った愛する人への熱を、身体に留めつづけなければならないとは、どれほどのもどかしさだろうか。それだけではない。この旅は、常に死後の世界と隣り合わせの、彼岸の淵を歩く旅だ。旅の道中、彼を再び失うという確信を抱き続けなければならない。それは、どれほどの恐ろしさだろうか。そして、失う瞬間というのはどれほどの悲しみだろうか。
これらの極限の感情を味わうことを。私は大いに娯しんだ。通常ではあり得ない事実に対し、リアルな感情を疑似体験するというのは、小説、映画の娯しみの一つである。そういった視点から観る本作品は、恋愛における究極のじらし、恐怖、悲しみを贅沢に味わえる良作といえるだろう。