数ある死生のひとつ 〜岸辺の旅〜

 

総合政策学部3年
小山峻

黒沢清といえば、97年のサイコサスペンス映画「CURE」が印象的であった。謎の男の影響を受けた人々が息を吐くように澄まし顔で人を殺すシーンは、今までのホラー映画にはない不気味さを感じたのを覚えている。「岸辺の旅」は死者が現れる話だと聞いていたので、同様の狂気じみた雰囲気が演出されるのかと身構えていた。確かに胸がぞくりとするような不気味な場面は幾つかあったが、それよりも死者が完全にこの世から消え去る場面、いわば死者の二度目の死の描写が、とてつもなく強烈であった。
幽霊というものは、死者でありながらも何らかの未練を持っているために、この世をさまよい続けている。その未練が払拭、解決されれば、幽霊は成仏することができる。「シックスセンス」や「ゴースト」など、フィクションにおける幽霊は得てしてそのようなものだ。「岸辺の旅」に登場する死者達も、責任感や依存心など様々な未練によってこの世に留まっている。だが彼らは悔いが残っていたとしても、無慈悲にこの世から消えてしまう。ある者は身体に影が増えていき、何も見えなく、聞こえなくなっていきながら消えていく。またある者は、誰にも見守られることなくいつの間にか消えている。未練というものは、この世に留まれる許可証などではない。あくまで期限付きでこの世に戻れる往復切符でしかないのだ。死後の世界も有限なのではと考えさせられる、なんとも不思議な世界観だ。
そんなことを考えながら帰宅すると、家族がテレビで三谷幸喜監督の「素敵な金縛り」を見ていた。同じ主演女優で同じ死者を扱った映画でありながら、ここまで印象が変わるとは。深津絵里の演技力に脱帽すると共に、作品ごとの死生観も十人十色だなと感じた。私の死生観は「ドラゴンボール」と「火の鳥」を足して割った感じである。

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