岸辺の旅

環境情報学部

71245933

對馬好秀

 

人は死ぬものである。そして、その後のことは誰にもわからない。誰かが教えてくれるわけでもない。しかし人はその後のことを考える。
もし仮に死んだ人間がごく当たり前のように今までと同じように人と会話をし食事をとっていたら、今までと同じような生活を送っていたら。「死」とは果たしてなんなのだろうか。

『岸辺の旅』
この映画はそんな「死」に対して新しい視点を持たせてくれる映画である。が、それにしても深い。まるでジブリ映画のように考察をしつつ見てしまう。解釈によって感じ方が全く違う。

主人公は3年前に夫をなくしたみずきという女性。そのみずきのもとに死んだはずの夫が帰ってくるところから物語は始まる。ごく当たり前のように死を受け入れ、ごく当たり前のように死人を受け入れる。きっとそれは生きていた頃と何ら変わらないまま自分の目の前に現れたからだろう。そして彼は「君を連れて行きたい居場所がある。」と言い出し死んだ夫との旅が始まる。ゆうすけは各地で様々な顔を見せる。彼はみずきのもとに戻ったが、彼女を連れ出す前から長い長い旅をしてきたのだ。この映画は彼の旅の途中から描かれている。
ここでは自分がこの映画で感じた2つの要点を紹介する。
まずひとつ目は「陰影の描写」である。明らかに不自然な光の当たり方。いや、影の作り方がこの映画には多く存在する。それは死人の持つ希望と闇を表しているようにも思えた。死んだ夫ゆうすけは最初部屋の片隅の薄暗い影から現れた。靴を履いたまま。まるで影が自分の居場所かのように思わせるその表現は最初だけではなかった。この映画は基本的に薄暗い場所でのやりとりが多い。しかしその中でしっかりと光も存在する。薄暗いところがだんだんと明るく照らされていく。しかしここでの光はどういうわけか少し嫌な印象をこちらに与える。そう、いつの間にか見ているこちら側も影を好むようになるのだ。ふたつ目の要因が「視点」である。この映画は最初現世を生きる人間である主人公と同じ視点で我々は見始める。そのため、死んだ人間か生きた人間かの区別がつかない。しかし、いつの間にかこちら側もなんとなく死人の見分けがつくようになり、なんとなく薄暗いのが心地よくも見えてくる。死人に近づくのだ。こうしてまた「死」に対する距離が縮まる。
この映画は生と死というものをより近くより現実的に思わせる映画である。

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